私は1993年春に韓国を旅行した。韓国においても日本軍が飛行場などの軍事施設を各地に建設しているが、こうした戦争遺跡が韓国の中でどのように位置付けられているかは把握していない。だが、日本の植民地支配に関する史跡や博物館などを見学しているので、簡単にいくつか紹介してみたい。狭義の意味での戦争遺跡ではないが、これらもまた日本の侵略行為を証言する歴史的遺産である。
1.旧朝鮮総督府庁舎
ソウル市中心部の旧王宮・景福宮の敷地にある国立中央博物館が旧朝鮮総督府庁舎(1926年完成)であった。朝鮮総督府は日本による植民地支配の象徴であり、韓国民にとっては強い憎しみの対象であろう。だが、あまりにも巨額の費用がかかるために撤去できなかったのだという。たしかに大理石をふんだんに使った西洋風の巨大な建物で、内装も豪華である。日本はあえて王宮の中にこれを建設して、朝鮮の人々の民族としての自尊心を踏みにじったのである。実は私が訪れた前年に、解体・撤去の方針が決まっていたのだが、歴史の証人として保存すべきとの声が高まったために、移転・保存に方針を転換するとのことだった。ちょうど沖縄では、立法院の撤去が決定した後だったので、韓国の人々の歴史に対する英断に深い感銘を受けた。
ところがその後、再び方針は変更され解体・撤去に決まったのである。相変わらず日本政府からの植民地支配に対する真摯な謝罪がないばかりか、逆撫でするような発言が繰り返されることもあり、韓国では解放50周年を前にして民族意識が高揚していた。その1995年8月15日に撤去開始を記念する式典が開かれ、解体が始まったのである。
2.タプコル公園(パゴダ公園)
この公園は1919年3月1日に、植民地支配に抵抗し朝鮮の独立を訴える独立宣言書が読み上げられた場所であり、ここから独立運動(三・一運動)がまたたく間に朝鮮全土に広がっていった。ソウル市中心部にあり、独立宣言書の碑や独立運動指導者のソン・ビョンヒ(孫秉熙)の銅像などがある。中でも目を引きつけたのは、独立運動を描いた10枚の大きな銅板レリーフであった。レリーフには独立運動の様子と日本官憲による弾圧、虐殺の場面が描かれていた。ボランティアで日本語ガイドをしている方が説明してくれた碑文やレリーフの意味は、胸に痛く響いた。韓国の人々にとっては独立運動の聖地であるが、ここを訪れる日本人は少ないという。
3.西大門独立公園
ソウル市内にある公園で、旧西大門刑務所(旧ソウル拘置所)が歴史教育の場として1992年から公開されている。ここに多くの独立運動家が投獄され、処刑されたという。赤レンガの獄舎や死刑場などが保存されており、独立運動に参加し朝鮮のジャンヌ・ダルクと言われるユ・クァンスン(柳寛順)が収容されていた女子監獄などが復元されている。小さな展示館が設置されていて、日本の憲兵による拷問の場面が血糊も生々しくろう人形で再現されていた。
4.独立記念館
ソウル市から車で一時間ほどの天安市内にある。ここは史跡ではないが、植民地支配下の朝鮮をテーマとする展示館である。1982年の日本の教科書問題をきっかけに独立記念館建設の運動が高まり、韓国民の寄付によって莫大な建設費がまかなわれ、1987年に開館した。広大な敷地に展示館だけでも7館もあり、その規模には圧倒させられる。7つの展示館では日本による植民地支配や独立運動の実態が詳しく展示されている。その中でも私たち日本人が目を覆いたくなるのは第3展示館の「日帝侵略館」で、武力による弾圧と民族性抹殺の政策などが展示されている。日本人刺客による王妃暗殺の瞬間や日本の憲兵により残酷な拷問を受ける朝鮮人の姿が実物大のろう人形によって再現されている。
この記念館には韓国の小中高生の団体が多数訪れていて、熱心に見学していた。こうした歴史教育を受けた彼らがどういう対日感情を持つようになるのか考えさせられた。
あのろう人形の前に立った時、「私は戦後生まれだから」とか「私は沖縄人だ」なんていう安易な言い逃れはできなかった。沖縄の高校生の修学旅行のコースになればと、その後常々考えるようになった。しかし、違和感を感じるところも数多くあった。それは、政権の思惑や国民感情が展示の中に色濃く反映しているように感じられたからであった。
体験者が少なくなり、モノに語らせることが重要になってくる。しかし、モノ自身が勝手に語るわけではなく、人間がモノに語らせるのである。人間の意図によっていくらでも操作が可能であり、時には歴史的事実がまったくねじ曲げられることもありえる。したがって、モノの保存というのは、そのモノの持つ歴史的事実の調査と一体でなければならない。そうしたモノを調査し記録できるのは、当たり前ではあるが体験者が存在している現在しかないだろう。
私たちは何を訴えたいのだろうか。そして、何よりも私たちの子供に何を伝えたいのだろうか。その理念を明確にしなければいけないことを、韓国の旅を通して強く感じた。
『けーし風』第22号 新沖縄フォーラム刊行会議 1999年
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