多くの尊い命を奪い、自然・文化をも破壊しつくした沖縄戦から50年という節目の年を迎えた。今年もまた、6月23日の「慰霊の日」には、糸満市摩文仁の平和祈念公園において、20万余の犠牲者を慰霊し恒久平和を希求する沖縄戦全戦没者追悼式が行われ、多くの遺族が県内外から参列する。
私の勤務する沖縄県立平和祈念資料館は、この平和祈念公園内に位置している。この場所は、沖縄本島の最南端であり、沖縄戦の末期に敗走した日本軍の司令部が置かれ、その陥落をもってほぼ組織的戦闘は終結した。この一帯の海岸は断崖絶壁となっており、追い詰められ逃げ場を失った多くの住民が犠牲となった場所でもある。
この沖縄戦最後の地に、沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝えることを目的として、この資料館は開館した。開館からちょうど20年が経ち、展示にもいくらかくたびれが見えてきているが、沖縄戦の実相を住民の側から明らかにしていく展示法は、多くの方から評価されてきた。なかでも特徴的な展示は「証言の部屋」で、ここには沖縄戦体験者の証言そのものが展示されている。
実際の被害の証言を通して、戦争を否定する展示構成となっており、見学者の感想文の多くもこの「証言」の衝撃についてふれている。
しかし今、戦争をただ被害者としての面だけでとらえていいのか、という問いかけが沖縄においても課題となっている。
沖縄戦においても多くの朝鮮人軍夫・慰安婦が犠牲になっており、また兵士として中国や東南アジアで戦った県出身者も多い。沖縄もまた加害の面は避けて通れないし、戦争責任を無視して沖縄戦だけを声高に訴えることはもうできなくなっている。
そして、それはまた、私たち戦争を知らない戦後生まれの世代が、どう沖縄戦を次世代へ継承していくか、という重い問いかけでもある。戦争体験者は、当時の国際情勢や戦争の経緯を解説しなくとも、また「平和」という言葉を使わなくとも、その体験をとつとつと語ることで、聞く人の心を揺さぶり戦争の悲惨さ・平和の尊さを伝えることができた。しかし、戦後50年が経って体験者の高齢化が進み、沖縄戦継承の課題は戦後生まれへと引き継がれようとしている。
戦争を知らない者が、戦争体験を継承するということはどういうことなのだろうか。いったい何を継承するのかと考えた場合、率直にいって迷いがある。「体験」そのものをそのまま語り継ぐのか(民話のように)、それとも体験から学んだ「反戦平和思想」なのだろうか。しかし、体験から学んだものは、一人一人違うであろう。
資料館では、離島地域の子供たちのために移動展を毎年開催している。離島地域は、一部地域を除いて地上戦はなく、比較的被害を受けなかったため、子供たちは家庭や学校で沖縄戦について学ぶ機会は少ない。そこで、見学の前に簡単な解説をすることにしている。そして、戦争の悲惨さ・被害の大きさを強調するために、日本軍による住民虐殺等、沖縄戦の特徴について自分なりに話していた。しかし、子供たちの感想文を見てショックを受けた。なぜなら、展示物を見ての感想よりも私の話の内容の方が多かったからである。相手が子供だからと、犠牲者○○万人・一日平均○千人と安易に話した数字がいくつもの感想文に書かれている。冷や汗が出る思いである。中には、住民虐殺の話に驚いた子供たちの「本土の人が嫌いになった」等という感想もあり、ドキッとさせられた。平和学習のつもりが、差別を生み出し、また「当時の沖縄の人はかわいそう」「あのころ生まれなくてよかった」との浅い認識で終わってしまっている。つくづく平和学習の難しさにとまどい、子どもの前で話すことの怖さを知った。
やはり、平和資料館だからといって、「平和」の押しつけはするべきではないだろう。資料館(博物館)とは、多くの人たちに、できるだけ多くの資料(事実)を提供し、自らが考え学びとる場となるべきであると考えている。
皇民化教育の徹底・軍国主義の横行・戦時下の人々の暮らし・日本そしてアジアの犠牲者の大きさ等、こうした歴史の事実を資料に基づいて丹念に積み上げていけば、そこから導き出される答えは見学者に委ねてよいのではないだろうか。
答えが先にあり、それに合わせて資料を作っていくのは、いかに平和教育が目的であってもやってはいけないことだろう。いや、平和教育だからこそ、事実を事実のまま伝えることの重要さ、その「事実」の中身を見抜く力を育てることの大切さを大事にしていきたいと思っている。そうでないと、「天皇は神だ」という嘘を教え続けた皇民化教育や戦争中の大本営発表と同じことになってしまうのではないだろうか。沖縄でも、沖縄戦の悲惨さを強調するために、「かつては武器のない国だった」とか「戦争のない国だった」とユートピアのように語られることがある。しかし、そうしたおとぎ話は、子どもたちはすぐに見抜いてしまうのではないだろうか。
沖縄はかつて、琉球王国として独立国家を営み、日本・中国・東南アジアの国々と大海を渡って交易し繁栄していた。交易船に乗り組む人々が武器を携帯していたかはともかく、他民族・他文化を受容する国際性に満ちた人々であったことは間違いあるまい。こうした過去の歴史の誇りと、未来を切り開くためには現実をしっかり見つめることの重要さを通して、戦争を知らない私が次の世代にどう沖縄戦を継承していくかを考えていきたいと思っている。
『指導と評価』 図書文化社 1995年
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